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山椒太夫


■公開:1954年
■制作:大映京都、大映(配給)
■監督:溝口健二
■助監:田中徳三
■脚本:八尋不二、依田義賢
■原作:森鴎外
■撮影:宮川一夫
■音楽:早坂文雄
■美術:伊藤憙朔
■主演:田中絹代
■寸評:ラストのパンは「気違いピエロ」に踏襲されたという。ヴェネチア映画祭・銀獅子賞。キネマ旬報ベスト10・第9位( 1954年 )


 この作品を「日のあたらない邦画劇場」で紹介して良いもんかどうか正直、迷いました。けど黒澤監督、小津監督に比べるとどうもイマイチ日があたってないんじゃないの?とも思うのでオッケーにしました。

 ヴェネチア映画祭の銀獅子賞ですからね。森鴎外の「山椒太夫」が原作で、元になっているのは民話の「安寿と厨子王丸」。平安時代、越後の浜辺で因業な人買いにだまされて離別させられた母と幼い姉弟。姉は死ぬが、成長して国守となった弟が母親に再会する話です。

 安寿・香川京子(少女時代・榎並啓子)、厨子王・花柳喜章(幼年時代・藤間直樹、少年時代・加藤雅彦)、母の玉木・田中絹代

 兄(この映画では安寿が妹)を助けるために湖に体を沈める安寿の姿が本当に悲しくて美しいです。安寿の覚悟に同情する山椒太夫・進藤英太郎(巧い、そしてニクッタラシイ!)の荘園で働く老婆が姉を見送りながら両手を合わせる場面の深遠な美しさ。静寂に包まれた湖面に波紋が広がってやがて安寿の体をすっぽりと飲み込んでしまいます。

 香川京子の本物が本当に水没しちゃうんです。

 岸辺に残された藁草履に胸が締め付けられるようです。モノクロの画面に奥行き感を描き出すために手前の笹薮やセットを墨で黒々と塗って撮影したそうです。そうですね、黒い雪降らせたのもこの人でしたね。この人、宮川一夫がいなかったら黒澤明も市川崑も溝口健二も「なかった」と思いますよ。へ理屈じゃないんです、映画は「画」を「映す」もんですから。

 厨子王は中山国分寺の僧侶の好意で生き延びます。この僧侶は山椒太夫の非道な行いに愛想を尽かして十年前に行方不明になった息子の太郎・河野秋武でした。都へ出た厨子王は、かつて農民のために尽くして流刑にされた平正氏・清水将夫の実子であることが証明されます。

 同情した関白の藤原師実・三津田健によって厨子王は丹後の国主に任命されます。着任した過酷な荘園の奴隷制度を改めるべく山椒太夫のもとで奴隷のようにこき使われたいた人たちを解放し、太夫の私領を没収した上に家財を焼き払い、人身売買の全廃を訴えて辞職します。

 気品あふれる花柳喜章が部下に自分の決意を語って聞かせるシーン。窓抜けのカットで遠くに山椒太夫の屋敷が炎上している火柱がチラチラと揺れるのは息を呑む迫力です。炎は厨子王丸が遂げた亡き妹の復讐(しかもそれは深く胸の内にしまっている)の心理描写です。

 フリーランスになった厨子王丸が「厨子王こいしや安寿こいしや」という歌詞を頼りに、母をたずねてはるばる佐渡の海岸へやって来ます。

 厨子王丸の背中を追っていたカメラがすーっと上昇して浜辺と海と空が遠くに澄み渡って見えます。そこからパンして、朽ちかけた漁師小屋が見えてきます。そこで干物にたかる蝿をおう盲目となった母が小さく映ります。

 安寿と厨子王丸それに母親が味わってきた辛酸、それが浄化される瞬間をこの短くて美しいシーンが雄弁に語ってくれます。このシーンが後に、ジャン・リュック・ゴダール・監督、ジャン・ポール・ベルモンド・主演の「気違いピエロ」のラストシーンにリスペクトされたんだそうですね。そんなこと知らなくても、いいんですけど、知ってるとなんだかゴダール監督にとっても親近感わきますね。

1996年08月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-08-20