軍旗はためく下(もと)に |
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■公開:1972年 |
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未亡人・左幸子は太平洋戦争末期、ニューギニアの戦地で銃殺されたがゆえに夫・丹波哲郎が戦死扱いされないことに納得がいきません。事件の真相を求めて生還した同僚、上官を尋ね歩くんですが、いずれの証言も微妙に食い違っていて未亡人はやきもきします。保身のためか誰かをかばっているのか未亡人には分からないんですが。 関係者の証言で次第に明らかになるのは現地での凄惨極まる状況です。夫は人肉を食らったのか、上官を謀殺したのか、それとも勇敢に戦死を遂げたのか。 未亡人が掴んだ真実は、極限状況で神経を病んだ上官を集団で殺害したことと、銃殺されるときに夫が叫んだ「天皇陛下、、」という叫びでした。「バンザイと言いたかったのか、何を訴えたかったのか」未亡人は「どっちにしたってアンタは浮かばれないよねえ」と呟くのです。 「舞踏会の手帳」のように戦線での体験を尋ね歩く未亡人に証言する三谷昇、関武(コントラッキー7)、内藤武敏らは、未亡人のためを思ってか夫が勇敢に戦死したと言う者もあれば、平然と戦友を殺害して人肉を食らっていたのではないかと言う者もいます。そうしなければ生き残れなかったという戦場のシーンが報道写真などをおり混ぜつつ、シズル感たっぷりに描かれていきます。 飯ごうに詰まった肉片にたかるウジとか、「口をきかなくなったら二日、震え出したら明日」死んでしまうというマラリアの解説がリアルで実体験のかけらもない客(私ですが)にも疑似体験できるくらいの迫力です。 「やらなきゃやられる」状況にあった当事者の証言。夫を銃殺した憲兵とは知らずに、関係者だったという按摩から証言を得た妻でしたが、彼は証言後、酒を飲み交通事故にあって死んでしまうのです。思い出すことが「死ぬほど」ツライことだってあるんですね。これは多くの戦争体験者の気持ちなんだろうと思います。 米軍捕虜を処刑させたにもかかわらず何故か生き延びて帰還し、おそらくは証言者達の中で最も「恵まれた生活(軍人恩給つきと思われる)」を送っている、少佐・中村翫右衛門。好々爺となった彼の元へ妻が赴くと「処刑は部下の独断」「戦地での裁判には直接関係していない」と、現地の最高責任者でありながら平然と答えます。少佐のシレッとした態度が未亡人(と、観ている我々)の怒りをかきたてるんですね。もちろん少佐個人を責めているのではないんですけれど「軍人」だったんでしょう?この人は。 たぶん、このへんが作り手のメッセージの肝心なところなんでしょう。そうでなければあんな芝居の上手い人にやらせないでしょうからね、この役。 ラスト、高度経済成長の鎚音が新宿の雑踏を歩く未亡人を包み込んでいきます。戦後の繁栄の中で置き去りされてしまった夫とその他の多くの人々の状況を象徴しています。誰に対して怒りをぶつけることもできずに彼等は「おまけの人生」を生きているのではないか?と。 「A級戦犯が総理大臣になる時代」とは岸信介のことですかね? 死んだ人は死に損で、せっかく生き残ったのにそれを喜べない、戦争の暗部を「全部ひっかぶった」無名の人々。戦争という巨大な暴力の中で行われた暴力沙汰へのコダワリ。深作欣二流の「戦後処理」映画。 (1996年08月23日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-08-17