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吸血鬼ゴケミドロ


■公開:1968年
■制作:松竹(大船撮影所)
■監督:佐藤肇
■脚本:高久進、小林久三
■原作:
■撮影:平瀬静雄
■音楽:菊地俊輔
■美術:芳野尹孝
■協力:ピー・プロダクション
■主演:吉田輝雄
■寸評:シャンソン界の大御所・高英男がエグイ吸血鬼を怪演。


 「ゴケミドロ」を「後家身泥」って変換する筆者のPC。吸血鬼っていいますけど、本作品のソレは特定個人じゃなくて不特定多数を鬼畜にしたり泥人形にするエイリアンのことです。吉田輝雄がドラキュラ伯爵みたいに佐藤友美のうなじから血を吸うのか?っていうエロいシーンを期待しちゃ駄目です。

 SF映画ではネーミングも重要なポイント。いかにカッチョイイ名前を付けるかによってその作品全体のムードが左右されるものです。たとえば「ギャオス」は子供が怪獣の鳴き声にヒントを得てつけた名前で、「ガメラ」は出自がカメだからという分かりやすさ。「モスラ」は蛾で、「ラドン」は温泉、、。

 さて「ゴケミドロ」というのはいかがなものでしょう。空飛ぶ円盤とか作って宇宙を自在に旅行できる先鋭的なテクノロジーをもったインテリゲンチャ・インベイダーになんでこんな凄い名前をつけたんですかね。ゴ・ケ・ミ・ド・ロですよ、あーた。文献によると「ゴケミドロ」のゴはゴルゴダの丘のゴ、ケミはケミカル、ドロは、、、とちゃんとしたいわれがあるそうです。つまりこれは「傲慢になった人類への天罰映画」。

 この宇宙生物はスライム状態で普段はズルズルしてるだけですが、ひとたび犠牲者の額をザックリと叩き割り前頭葉のあたりから脳味噌へ侵入すると人間を吸血鬼として鬼畜化してしまうというとんでもない奴らです。

 最初に吸血鬼となるのがスナイパーにしてハイジャッカー・高英男。相手の首に吸い付き、もがく相手とは対照的な恍惚の表情を浮かべて血液をゴクゴクと飲みます。額に縦一文字の醜い傷、目張りビシバシの高英男が土建屋・金子信雄の短い首(正確には顎と肩のすき間)に襲いかかるところはとても鬱陶しくて素敵。

 他の犠牲者たちを検証してみましょう。金子の妻・楠侑子は生き残った代議士の情婦で、高英男にかみつかれてひからびて死んでしまいますが、死ぬ直前にゴケミドロのメッセンジャーとして活躍します。高橋昌也は宇宙生物を研究している学者さんで高英男が焼殺された後、その死体から逃げ出したゴケミドロに鬼畜にされて土になって死んじゃいます。

 加藤和夫は崖からつきおとされた挙句に血を吸われます。とにかく最後に画面に登場する生者は副操縦士・吉田輝雄とスッチー・佐藤友美だけです。ほかは死体の山また山。

 ラストシーンは宇宙から雲霞の如く押し寄せるゴケミドロの円盤が地球に向かって突進するカットに続いて、青かった地球が次第に土気色になり人類の絶滅を予感させる、というもの。

 ハデな戦闘場面や怪獣は出てこないし、最初から最後まで徹底的に見るものを陰々滅々たる気分にさせるぜんぜんスカっとしない爽快感ゼロのSF映画です。で、つまらなかったかというとそうでもないのが怪奇アクション映画の巨匠・佐藤肇監督の偉大なところですよね。

 墜落したジェット機の残骸がちょっと安っぽい作りだったのを除けば、限定された登場人物(しかも芸と顔のクドイ人ばかりなので)の極限状態をうまく描いてけっこうハラハラする作りになってて面白いです。なんかこう悪趣味なお化け屋敷に入っちゃったみたいで。

 SF映画というより恐怖スリラー、英国のハマープロのそれと味わいが近いかもしれないですね。人類が全滅しちゃうシュールな感じが。劇伴が菊地俊輔、脚本が高久進。ロケ地が赤土むきだしの造成地なもんでちょっと「東映」っぽくなったのはご愛敬ですかね。

 ちなみに「ゴケミドロ」の声を担当したのは高橋昌也です。エフェクトかかっててよくわかんないけど、どうせなら高英男にやってほしかったですよね。シャンソン歌うエイリアンなんてちょっと素敵でしょ? 歌わないだろうけど。

1996年06月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-08-17