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丑三つの村


■公開:1983年
■制作:松竹映像、富士映画
■監督:田中登
■脚本:西岡琢也
■原作:西村望
■撮影:丸山恵司
■音楽:笹路正徳
■美術:猪俣邦弘
■SFX:トビー門口
■主演:古尾谷雅人
■寸評:「犬神家の一族」でも取り上げられた大量殺人事件がモデル。


 「丑三つの村」は1938年に岡山県津山地方で起きた「津山事件」をモデルにしたフィクションが原作です。二十二歳の青年が一夜のうちに恨みを持つ村人三十人を殺害した事件の衝撃は、個人がやらかした未曾有の大量殺人事件です。それは「八つ墓村」のヒントになった事件であったし「野性の証明」にも似たようなシーンが登場する、日本犯罪史上たいへんショッキングな事件だったんですね。

 成績優秀だった村の若者・古尾谷雅人は神童ともてはやされていましたが肺結核に罹患し兵役免除となったことから村人に疎んじられるようになり、あからさまに「役たたず」と罵る者まで出る始末です。恋人・田中美佐子にも逃げられ、自暴自棄になった若者は、ライフルなどの銃器に身を固め夜半に村人を襲って虐殺の限りを尽くします。

 夜が明けるころ一人、山の中で自殺して果てるまでを迫力満点のスプラッターシーンの連続で描かれます。

 古尾谷が肺を病んでからというのが結構、現代的です。おばあちゃん・原泉に育てられた彼は毎日、山でライフルをぶっ放してストレスを解消しています、正直、アブナイパターンですね。趣味が高じて大量のライフルを買い込みますが、そんなん何するんだか?ってわけで一旦は警察に押収されてしまいます。くさくさした若者はやがて「危険分子」となりひそかに村の「青年団」に暗殺されそうになります。

 ささいな事件や噂で手のひらを返したように冷酷になる村社会の閉鎖性と、ワガママいっぱいに育った馬鹿が生んだトンでもない事件が、ある晩、突如としてスタートします。

 弾着シーンをトビー門口が担当する射殺場面は寝間着姿の被害者が面白いほど弾けまくります。頭は飛ぶわ、女性の秘部は撃ち抜くは、薄ぐらい画面に展開する壮絶なパノラマは残酷なはずなのにどこか力が抜けるような明るさがあって、それが一層不気味。頭に懐中電灯をくくりつけて走り回り殺しまくった古尾谷だが、いじめグループ(青年団)の張本人である夏八木勲は討ち損じちゃうんですね。

 史実に基づいているんですかね?中途半端ですよねー、て言うかそう思うってことはすでに主人公に感情移入しまくり?かも。

 五月みどり池波志乃(大変残念ながら大場久美子の「頭ぶっとび」殺害シーンはカットされたそうで)らお色気満点の熟女が血だるまになって果てるシーンが大すき!って方にはお薦めですけど、さすがに引きますよねー、ここまでやられると。

 「吐き気がするほどの残酷味」はスプラッター洋画では当り前ですけど日本映画では貴重かもしれないです(あくまでも「かもしれない」程度)。監督の田中登は日活のアクションを経てロマンポルノで一花咲かせた人なので本作品でも田中美佐子に神社の境内で泣きながら脱がせてます。

 主人公の自殺によってこの事件は終了しますが、今時の狡猾なお子様たちが見たらこの映画、どう思うでしょうね。おそらく「馬鹿じゃんアイツ(主人公)!キチガイのフリすれば助かるのに!」なんてこと言うんじゃないですかね、こ、コワー。やはり映画は現実には勝てないってことですかね、って納得してる場合じゃないんですけど。

 古尾谷のガタイが立派すぎるので虚弱なインテリの大暴走、っていうよりは体もてあました熱血馬鹿が憂さ晴らし、という風情になってしまったのはちょっとイカンですね。とにかくめちゃくちゃですから、やってることは。テレビでなんか放送できないでしょうね。なので見終わっての一言は「よい子は真似しないでね!」いやもっと「馬鹿な子は真似しないでね!」って感じ。

1996年08月23日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2003-08-17