主任司祭のご紹介
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主任司祭のご紹介

三軒茶屋教会の主任司祭 山谷篤神父様のご紹介を致します。

 

2005年4月カトリック三軒茶屋教会の主任司祭として赴任されたヨハネ・ドウンス・スコートウス山谷篤神父様にお話を伺いました。

Q.自己紹介をお願い致します。

A.山谷篤と申します。昭和36年3月28日北海道函館市に生まれました。生まれてか

ら小学校四年生まで函館の宮前教会に通っておりましたが、その後、郊外に引っ越し、同じ函館市内の湯川教会に通うようになりました。高校まで函館に住んでいましたが、卒業後仙台の大学に行き故郷を離れました。大学卒業後は地方銀行に入行し、再び北海道に帰りましたが、ただ勤務地は函館ではなく札幌でした。そこで4年を過ごした後、帯広に転勤になりまして、教会も帯広に移りました。その地で私は銀行を退職し、修道院に入ることを決意致しました。銀行員として仕事一筋の人生も尊いのですが、

私には教会の信仰共同体の中で自分になすべき事があると確信したからです。

Q.帯広教会時代が、神父様のその後の人生を決定づけたわけですね、そのころの思い出

をお聞かせ下さい。

A.なんといっても青年会の活動でしょうか、当時は帯広、釧路、そして時々中標津教会

の20代・30代の若者が数多く集まり、黙想会などを行ったものです。当時それぞれの教会は100km以上離れていたのですが、皆車を使い軽々と移動して気軽に集まっていました。今振り返ると大変エネルギッシュだったなーと思います。また当時お世話になった帯広教会の主任司祭の藤田神父様も飄々とした方で、私が修道院に入ることを決心し、銀行を退職して当時暮らしていた寮を出た時も本来ならアパートにでも引っ越さなければいけないところでしょうが、気軽に教会で暮らすことを誘って下さり、志願院に入るまでの半年間居候をさせて頂きました。しかも光熱水料の等お金のことなど何もおっしゃらずにタダでおいて下さったのです。

Q.太っ腹というか細かいことにこだわらないというかお優しい方だったんですね!

現在その恩師の藤田神父様は今どちらにいらっしゃるのでしょうか?

A.栃木県の日光・今市両教会の主任司祭をなさっておられます。

Q.修道院に入られてからのその後の生活を教えて頂けますか?

A.91年4月にフランシスコ会の志願者となって大阪市生野区の志願院に入りました。

そこで1年間おりまして、祈りの生活を送ったり、老人ホームなどでボランティアをさせて頂いたり、大阪釜ヶ崎のドヤ街で炊き出しや夜回りなどをさせて頂き、そのような経験を通して自分の修道者としての召命の見極めを行っておりました。92年に北浦和の修練院に入り、93年に瀬田の神学院に入りました。2000年3月に叙階を受けました。時期は多少前後しますがこの瀬田時代の99年に高崎教会で助祭の奉仕をさせて頂き、教会司牧の実習をしていました。この時期は、毎週末瀬田と高崎間を電車で行ったりきたり大変でしたが思い出深い経験となりました。その後2000年に田園調布教会、2001年板橋教会で新司祭研修を2年間し、2002年から2005年3月まで田園調布教会の助任司祭をさせて頂きました。

Q.神父様は修道院に入るまでは地方の教会で、修道生活に入ってからは都会の教会にご縁があるようですね。最期に神父様のご信条や三軒茶屋教会の信徒の皆さんにメッセージがございましたらお願い致します。

A.教会というところは様々な年齢や立場の個性を持つ方がいらっしゃいますが、ここ三軒茶屋教会は信徒数が1000人を越える教会で、多くの方が様々な活動をなさっております。主任司祭としてできるだけ多くの方と関わりを持って行きたいと思いますが、やはり人間としての限界もあります。また、三軒茶屋に集う信徒やその活動組織、修道会、幼稚園、スカウトなど多様な単位を司牧者として主任司祭が全てを仕切ることにも限界がありますし、できないと思います。東京教区で進める宣教協力体という新しい形の教会のあり方も、聖堂共同体のことは、主任司祭が全てを掌握すると言うよりは、むしろ様々なグループが協力して宣教や司牧をともに作り上げて行くと言う教会のあり方だと思います。神様は私たちを1種類の色には染めず、個性ををお与えになったのですから、聖堂共同体を私の色で染めるようなことではなく多様なあり方を大切にして行きつつ、互いが宣教のためにどのような協力ができるのかを探る必要があるでしょう。それは、一つ一つのグループが蛸壺のようにそれぞれ独立してその間に何の協力もないような状態ではなく、できるだけ蛸壺から出て、宣教という観点からどのように他と協力して行けるかをそれぞれのグループが問われていると言うことでしょう。私たち信徒の他と協力すると言う姿勢が宣教協力体という新しい教会のあり方を支えて行くことになるのだと思いますし、それぞれの限界を超えて行くことにもなるのだと思います。