男性アクションtype-B(Home)|マイク・コナーズ:Biography
マイク・コナーズ(Mike Connors)
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1967年-1975年)
Wikipedia:http://en.wikipedia.org/wiki/Mike_Connors
IMDb:http://www.imdb.com/name/nm0175528/
Armenian Film Foundation:http://armenianfilm.org/
[主な出演作品]
テレビシリーズ(ゲスト)『Mike Hammer(マイク・ハマー)』(1956年)ルウ役 / マーティ役
テレビシリーズ(ゲスト)『The Untouchables(アンタッチャブル)』(1962年)エディ・オ・ガラ役
テレビシリーズ(ゲスト)『Perry Mason(ペリー・メイスン)』(1964年)ジョー・ケリー役
テレビシリーズ(ゲスト)『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』(1989年、1995年)ウォルター・マレー役 / ボイス・ブラウン役
テレビミニシリーズ『War and Remembrance(戦争と追憶)』(1988年-1989年)ハリソン・”ハック”・ピータース大佐役
テレビムービー『High Midnight (恐怖のバースデイ・パーティ)』 (1979年)ルウ警視役
テレビムービー『The Death of Ocean View Park(遊園地大爆破)』 (1979年)サム・ジャクソン役
テレビムービー『James Dean: Race with Destiny(傷心/ジェームズ・ディーン愛の伝説)』(1997年)ジャック・ワーナー役
テレビパイロット『The Killer Who Wouldn't Die(コード・ナンバー27 / ヨットハーバー殺人事件)』(1975年)カール・オハニアン役
テレビムービー『Revenge for a Rape(リベンジ・野獣たちのレイプ )』(1976年)トラヴィス・グリーン役
テレビシリーズ(主演レギュラー)『Tightrope (秘密指令 / タイトロープ)』(1959年-1960年)ニック・ストーン役
テレビシリーズ(主演レギュラー)『Mannix(マニックス特捜網)』(1967年-1975年)ジョー・マニックス役
テレビシリーズ(主演レギュラー)『Today's F.B.I.(F.B.I.フォーメーション5)』(1981年-1983年)ベン・スレイター役
テレビドキュメンタリー(声)『William Saroyan: The Man, the Writer』(1994年)ナレーション
テレビシリーズアニメーション(声)『Hercules(ハーキュリーズ)』(1998年)チパクルス(警官)役
映画『Sudden Fear(突然の恐怖)』(1952年)カーニーJr.役
映画『Island in the Sky(男の叫び)』(1953年)ゲイナー(通信士)役
映画『Five Guns West(あらくれ5人拳銃)』(1955年)ヘイル・クリントン役
映画『Day the World Ended(原子怪獣と裸女)』(1955年)トニー・ラモーン役
映画『Swamp Women(女囚大脱走)』(1956年)ボブ・マシューズ役
映画『Too Scared to Scream』(1957年)ステイシー・ターナー役 / エグゼクティヴプロデューサー兼
映画『Panic Button(パニックボタン)』(1964年)フランク・パガーノ役
映画『Good Neighbor Sam(ちょっとご主人貸して)』(1964年)ハワード・エベッツ役
映画『Harlow(ハーロウ)』(1965年)ジャック・ハリスン役
映画『Situation Hopeless... But Not Serious(戦場はどこだ!)』(1965年)ラッキー軍曹役
映画『Stagecoach(駅馬車1965)』(1965年)ハットフィールド役
映画『Se tutte le donne del mondo / Kiss the Girl and Make Them Die(殺しのビジネス)』(1966年)ケリー役
映画『Avalanche Express(アバランチエクスプレス)』(1979年)ハーラー役
映画『Too Scared to Scream(仮面のレジデンス)』(1985年)アレックス警部役 / プロデューサー兼
[受賞歴]
ゴールデングローブ(主演男優賞)受賞:『Mannix(マニックス特捜網)』(1969年)※ノミネート6回
Biography
■バイオグラフィ【短縮版】(2012/09/08:更新)
1925年8月15日アメリカ合衆国カリフォルニア州フレズノ市生まれ。本名はクリコール・オハニアン(Krekor Ohanian, Krikor Ohanian)。アルメニア系。
旧芸名はTouch Connors(タッチ・コナーズ, 1952年-1957年)、Michael Connors(マイケル・コナーズ, 1957年-1967年)。
主にテレビシリーズ、テレビムービーで活躍した俳優。
劇場公開映画『突然の恐怖(1952年)』で27歳でスクリーンデビュー。
代表作はテレビシリーズ『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1975年)『Tightrope(秘密指令/タイトロープ)』(1959年-1960年)『Today's F.B.I.(F.B.I.フォーメーション5)』(1981年-1982年)、劇場公開映画『Avalanche Express(アバランチエクスプレス)』(1979年)『Se tutte le donne del mondo / Kiss The Girl and Make Them Die(殺しのビジネス)』(1966年)
背が高く筋肉質で男性的な風貌を生かして、西部劇、犯罪ドラマ、戦争ドラマ等のテレビシリーズに多く出演する。
ゴールデングローブ賞ノミネート6回受賞1回、エミー賞ノミネート4回。受賞対象となったのはいずれも『マニックス特捜網』である。
私生活では1949年に結婚、離婚歴はない、二人の子供がいる。
最新作は2007年、テレビシリーズ『Two and a Half Men(チャーリー・シーンのハーバー★ボーイズ)』(2007年)へのゲスト出演、アルメニア人の歴史ドキュメンタリービデオ『The River Ran Red』 ( Armenian Film Foundation:2008年)の声の出演、テレビミニシリーズ『Pioneers of Television』への出演。
2008年、テレビシリーズ『マニックス特捜網』のファーストシーズンがDVD化されるにあたり、特典として各エピソードの解説、1エピソードのオーディオコメンタリー、共演したJoseph Campanella(ジョセフ・カンパネラ)と対談した。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1967年)左:ジョセフ・カンパネラ
画像:DVDソフト『マニックス特捜網DVD特典映像』(2008年)左:ジョセフ・カンパネラ
□トピックス(2012/08/11:更新)
2011年5月『マニックス特捜網』のDVDについてCBSテレビジョンおよびパラマウントに対してロイヤリティの未払いについて訴訟を起こしている。
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■バイオグラフィ【詳細版】(2012/09/08:更新)
1925年8月15日カリフォルニア州のフレズノ市でアルメニア人のコミュニティで生まれ育つ。幼いころのコナーズは同コミュニティに対する差別を受けて育ったという。
Mike Connors(マイク・コナーズ)は芸名であり、本名はクリコール・オハニアン。「クリコール」はアルメニアの洗礼名であり英国では「グレゴリー」になる。 コナーズの両親がアルメニア人のディアスポラであることを、コナーズはArmenian Film Foundation製作のドキュメンタリービデオでナレーションを担当した時に自ら語っている。
コナーズはアルメニア系のアイデンティティを大切にしているらしく、アルメニア人の虐殺に関するドキュメンタリービデオやアルメニア人の作家・サローヤンの伝記ビデオにナレーターとして出演したり、アルメニア人の子供のためのアイケアに関するCMに出演したこともある。
高校生になったコナーズはバスケットボールを始める。高校卒業後、第二次世界大戦で空軍に従軍、1945年終戦後は奨学金を受けてUCLAに入学する。
コナーズはUCLAで名将と言われたJohn Wooden(ジョン・ウッデン)の指導を受けるが、同大学を訪れた映画監督のWilliam A. Wellman(ウィリアム・A・ウェルマン)の目にとまったコナーズは、バスケットボールを止めて演劇のコースで学び始める。
バスケットボールについて言えばコナーズがUCLA時代に残した実績は大きなものではないが、コナーズはバスケットボールが好きだったらしく、後年になって『マニックス特捜網』にKareem Abdul-Jabbar(カリーム・アブドル=ジャバー)をゲストとして招聘し、自らプレーも披露した。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』カリーム・アブドゥル=ジャバー (右)
コナーズは俳優としてデビューする際にマネージメント契約を結ぶにあたり、は芸名をつけるように指示された。本名の「オハニアン」に似た名前のコメディ俳優がいたことも芸名をつける理由の一つになったようだ。
マネージャーから「君のあだ名は何か?」と訊ねられたコナーズは、学生時代にバスケットボールのチームメイトが彼のことをからかって呼んだ「タッチ(コンタクトが弱い、優しくさわる、という意味らしい)」を教えたところ、そのまま芸名にされてしまったという。「コナーズ」という芸名は男性的なイメージを与えるために考え出された。
コナーズは「タッチ」という芸名が気に入らなかったようで、1952年にデビュー後1957年には「マイケル」に芸名を変更し1967年には「マイケル」の愛称「マイク」を芸名にして現在に至っている。
1952年のデビュー作こそサスペンスドラマの劇場用映画で甘い二枚目だったコナーズだが、当時のハリウッドでは供給過剰気味であったタイプの役どころには以降、ほとんど恵まれることはなく、コナーズはロジャー・コーマンが監督またはプロデュースした低予算映画に出演していた。
画像:劇場用映画『Sudden Fear(突然の恐怖)』(1952年)グロリア・グレアム(左)
画像:劇場用映画『Skycommando』(1953年)ダン・デュリエ(右)
画像:劇場用映画『The 49th Man』(1953年)
コナーズがよく出演していた低予算映画というのは、まだ無名の若手監督や俳優を起用し、セットを組む金がないからロケーション、バンク映像の多用、スタントマンを雇うかわりに俳優は体力勝負で乗り切るというのが通常である。
デビューから3年、30歳になったコナーズは低予算映画でくすぶっていた。
1955年、Roger Corman(ロジャー・コーマン)が初監督した劇場公開用映画『Five Guns West(あらくれ5人拳銃)』では、南軍の将校に利用される元死刑囚で金塊を奪おうとする賭博師の役で、共演者と荒地で肉弾戦をスタントマンなしで自ら演じた。
画像:劇場用映画『あらくれ5人拳銃』(1955年)ジョナサン・ヘイズ(上)
画像:劇場用映画『あらくれ5人拳銃』(1955年)ドロシー・マローン(左)
1956年、ロジャー・コーマン監督の『Day the World Ended(原子怪獣と裸女)』では核戦争後の地球に生き残ったわずかな人類の一人で、同じく生き残りの若い女をモノにしようとして殺されるチンピラの役だった。
1956年、ロジャー・コーマン監督の『Swamp Women(女囚大脱走)』では、沼地に隠されたダイヤモンドを掘り起こすために脱走した女囚たちに人質になるプレイボーイの役だった。最初から最後まで縛られていて大した活躍をさせてもらえない。しかし、体力勝負のコナーズとしての見せ場はちゃんとあった。自分を裏切った恋人を助けようとしてワニと水中で格闘するシーンである。さらに、コナーズは二枚目なので、女囚たちの間でコナーズをめぐるキャットファイトの起爆剤という役割はちゃんと果たした。
画像:劇場用映画『Swamp Women(女囚大脱走)』(1956年)マリー・ウィンザー(左)
画像:劇場用映画『Swamp Women(女囚大脱走)』(1956年)※ワニと格闘中
1956年、George Blair(ジョージ・ブレア)監督の『Jaguar(密林の豹人)』では、天然資源を独占しようとする探検家という役どころで、最後にピラニアに食われていた。
1956年、Edward L. Cahn(エドワード・L・カーン)監督の『Shake, Rattle & Rock!(日本未公開) 』では、頭の固い大人たちにロックンロールを禁止された若者たちのためにテレビ公開裁判で勝訴を得るプロデューサーという役だった。映画そのものがミュージックビデオのような内容で当時人気のあったFats Domino(ファッツ・ドミノ)を歌わせるのが目的のような内容で、コナーズはまともに芝居をさせてもらえなかった。
画像:劇場用映画『Shake, Rattle & Rock!』(1956年)リサ・ゲイ(左)
画像:劇場用映画『Shake, Rattle & Rock!』(1956年)ファッツ・ドミノ
1957年、同じくエドワード・L・カーン監督の『Voodoo Woman(女黄金鬼)』ではブードゥー教を信仰する村に隠された黄金を奪いにく一行を案内する現地のガイド役。善玉の二枚目だが、低予算映画ではおなじみのPaul Blaisdell(ポール・ブレイズデル)がデザインした金髪のバケモノと戦わされていた。
画像:劇場用映画『女黄金鬼』(1957年)マーラ・イングリッシュ(右)
画像:劇場用映画『女黄金鬼』(1957年)ポール・ブレイズデルが演じる金髪の化け物
1957年、このままでは芽が出ないと思ったコナーズは、エドワード・L・カーン監督の低予算映画『Flesh and the Spur』 で資金をかき集めてエグゼクティブプロデューサーを買って出た。コナーズが演じたのは脱獄囚に兄弟を殺された主人公と仲良くなる流れ者のガンマン役。その正体は脱獄囚なのだが、彼は自分を殺そうとした強盗団のボスである父親への復讐を誓っていた。
やっと父親を追いつめたが、やはり殺すことができず、躊躇していたところを主人公がかわりに射殺してしまう。そこで初めて正体を明かし、主人公への謝罪もあって自ら死を選ぶという、主人公よりも圧倒的に重要な役どころだった。コナーズにしてみれば自らのプロモーションが目的であるから、ロジャー・コーマンの息のかかった旧知のスタッフが提示した低予算映画ならではの「全裸のヒロインが蟻に襲われるシーン」など入れたくもなかっただろうが、そこは最小限にとどめてある。
画像:劇場用映画『Flesh and the Spur』(1957年)
画像:劇場用映画『Flesh and the Spur』(1957年)
1957年、コナーズはこの頃に芸名を「Touch Connors(タッチ・コナーズ)」から「Michael Connors(マイケル・コナーズ)」に変えた。デビューから5年目、新規巻き返しという意味と、単純に「不名誉なあだ名を芸名にされた」のがイヤだったのと両方だろう。
1959年、テレビシリーズ『The Texan(テキサン)』では人妻に横恋慕して、財産もろとも力づくで奪おうとして主人公のRory Calhoun(ローリー・カルフーン)にぶっ飛ばされる色敵の役どころだった。
画像:テレビシリーズ『テキサン』(1959年)
1959年、テレビシリーズ『Mike Hammer(探偵マイク・ハマー)』では昔の不良仲間に脅迫されて犯罪に手を染めそうになる気の弱い男を演じた。同じシリーズに前回ゲスト出演したときは、盲目の亭主のいる人妻の浮気相手という悪役だった。
この頃のコナーズは、一見すると善玉なのか悪役なのかわからない、たくましい風貌を生かした役どころが多かった。
画像:テレビシリーズ『私立探偵マイク・ハマー』(1959年)
画像:テレビシリーズ『世にも不思議な物語』(1959年)
1959年、役どころも徐々に大きくなっていたコナーズは、ついにテレビシリーズで初めての主演を獲得する。『Tightrope(秘密指令/タイトロープ)』の潜入捜査官のニック・ストーン役である。
画像:テレビシリーズ『秘密指令/タイトロープ』(1959年-1960年)
画像:テレビシリーズ『秘密指令/タイトロープ』(1959年-1960年)
ニック・ストーンは身分を隠して全米各地の犯罪組織に潜入し、内部から壊滅的な打撃を与えて、地元警察に通報してから姿を消す。毎回、コナーズのモノローグで展開する30分ものである。ニック・ストーンのトリッキーなガンアクションが有名で、スラックスの背中のところに小型拳銃をホルスターに入れておき、正体がバレそうになったらジャケットの前を開いて丸腰だと思わせておき、背中から拳銃を引き抜いて銃撃する。
人気が出たシリーズだったが、暴力的な描写が多かったこと、放送局側が提示した放送時間枠の変更の要求と60分ものへの拡大、主役に相棒をつけるなどのフォーマット変更にコナーズが難色を示したこともあり、わずか1シーズンで打ち切りとなってしまった。
1960年、Jaime Salvador(ジェイム・サルヴァトーレ)監督がメキシコで撮影した低予算映画『The Dalton That Got Away』に主演した後、テレビシリーズのパイロット版『The Expendables(エクスペンダブルズ)』に本名に近いマイク・オハニアンという役どころで主演したがシリーズ化には至らなかった。ほかにいくつかのパイロト版が検討されたようだがいずれもシリーズ化していない。
テレビに見切りをつけたのか、コナーズはこの後、しばらく劇場用映画に出演する。
1964年、完成後2年もたって公開されたいわくつきの映画、Jayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)が契約のバーターで嫌々ながらに出演したGeorge Sherman(ジョージ・シャーマン)監督の『Panic Button(パニックボタン)』では税金逃れのためにクズ映画を製作するプロデューサー役。
1964年、David Swift(ディヴィッド・スイフト)監督の『Good Neighbor Sam(ちょっとご主人貸して)』ではRomy Schneider(ロミー・シュナイダー)の夫役でJack Lemmon(ジャック・レモン)と大乱闘する血の気の多い二枚目という役どころをコミカルに演じた。
画像:劇場用映画『ちょっとご主人貸して』(1964年)ロミー・シュナイダー(右)
1964年、ハリウッド女優のラナ・ターナー情痴事件が元ネタの、Edward Dmytryk(エドワード・ドミトリク)監督の『Where Love Has Gone(愛よいずこへ)』ではSusan Hayward(スーザン・ヘイワード)とBette Davis(ベティ・ディヴィス)という二大オスカー女優を相手に回した第二次世界大戦の英雄、ルーク・ミラー役。離婚した元妻の娘が、母親の浮気相手を射殺してしまい、事件の真相を探るために仕事をなげうって駆け付ける父親と言う役どころだった。こういうナイーブな役どころは、陽性なコナーズには少々、荷が重かったようだ。
画像:劇場用映画『愛よいずこへ』(1964年)スーザン・ヘイワード(右)
1965年、Gordon Douglas(ゴードン・ダグラス)監督の『Harlow(ハーロウ)』ではCarroll Baker(キャロル・ベイカー)と恋仲になるハリウッドスターのジャック・ハリソン役。モデルとなったのはハリウッドの大スター、クラーク・ゲイブルのようだ。
画像:劇場用映画『ハーロウ』(1965年)キャロル・ベイカー(右)
1965年、Gottfried Reinhardt(ゴットフィールド・ラインハルト)監督の『Situation Hopeless... But Not Serious(戦場はどこだ?)』では若き日のRobert Redford(ロバート・レッドフォード)と共演。風変わりな老人Alec Guinness(アレック・ギネス)によってドイツ国内に監禁され、終戦後に解放される連合軍の軍曹役だった。
1965年、ゴードン・ダグラス監督の『Stagecoach(駅馬車1965)』ではオリジナルの『駅馬車(1939)』でJohn Carradine(ジョン・キャラディーン)が演じたハットフィールド役。オリジナルでは重要な役どころだったが、やはりコナーズのキャラクターには合わず、あまり重要な役として扱われることもなかった。
画像:劇場用映画『Stagecoach』(1965年)
1966年、Dino de Laurentiis(ディノ・デ・ラウレンティス)製作、Henry Levin(ヘンリー・レヴィン)監督の007映画のパロディでイタリア映画の『Se tutte le donne del mondo / Kiss the Girl and Make Them Die(殺しのビジネス)』ではCIAの捜査官役で主演した。ブラジルの実業家が、世界中の美女を集めてハーレムを建設するという荒唐無稽な陰謀を企てたので、それを阻止するために女スパイとともに活躍する。コルコバードのキリスト像でのスタントは現地のスタントマンにキャンセルされてしまい、仕方なくコナーズ本人が演じたそうだ。
画像:劇場用映画『殺しのビジネス』(1966年)
劇場公開用映画でも大作に恵まれなかったコナーズは、この間の1964年、テレビシリーズ『Perry Mason(弁護士リーメイスン)』(CBS:1957年-1966年)にゲスト出演した。主演のRaymond Burr(レイモンド・バー)が病気療養中で出演しない珍しいエピソードだが、コナーズがレイモンド・バーに替わる主演のパイロット版だったという伝聞がある。
1967年、テレビに復帰したコナーズは自身にとって2本目となるテレビシリーズの主演レギュラーを獲得する。
『Mannix(マニックス特捜網)』のジョー・マニックス役である。
シーズン1では、コンピュータを駆使する調査会社インターテクトの敏腕調査員、シーズン2以降は独立した私立探偵となった。
主人公のジョー・マニックスは肉弾戦も拳銃も自動車の運転も得意だが、経験と勘を頼りに体力を駆使して事件を解決する。マニックスは特別な人間ではなく、無敵でもないため、後頭部を殴られて気絶させられたり、腹を殴られて悶絶したり、負傷は日常茶飯事であり、シーズン後半では一度、心肺停止状態になるエピソードもあった。
このようにファーストシーズンでは特に暴力シーンが多かったのだが、ジョー・マニックスはスポーツコートにシンプルなパンツという活動的なスタイルをしていて激しいアクションをこなしていた。コナーズによると1エピソードで3回くらい着替えたこともあるという。衣装のワードローブには20着くらいのスポーツコートが常備されていたそうだ。
こうした設定はコナーズ自身がこだわったようで、技斗に関しては特にリアリティを求めたという。技斗の前後でスタントマンとたくみに入れ替わることで本人が演じているように見せる工夫や、傷跡を残すことはシーズンを通じて徹底している。
シーズン1ではインターテクト社の上司であるルウ・ウィッカーシャム(Joseph Campanella:ジョセフ・カンパネラ)とコンビを組んだ。ルウとマニックスは朝鮮戦争の戦友であり、よき相棒なのだが、価値観の対立した上司と部下である。毎回、マニックスがマイペースで仕事をするために、ルウと口論(主にルウの説教)になるが、マニックスがピンチになるとすかさずルウがフォローに回るという展開だった。
画像:『マニックス特捜網』パイロット版
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1967年-1975年)
画像:『マニックス特捜網』(1967年-1968年)ジョセフ・カンパネラ(右)
画像:『マニックス特捜網』(1967年-1968年)ジョセフ・カンパネラ(左)
画像:『マニックス特捜網』(1967年-1968年)ジョセフ・カンパネラ(右)
シーズン2以降では、インターテクト社を退職したジョー・マニックスが独立して私立探偵になっている。レギュラー出演した、マニックスの優秀な秘書のペギー(Gail Fisher:ゲイル・フィッシャー)は時には相棒であり、危険を顧みないマニックスに説教をする母親のような存在でもある。ほかによき協力者としてマルコム警部(Ward Wood:ワード・ウッド)アダム・トバイアス警部(Robert Reed:ロバート・リード)らがセミレギュラーとして出演していた。
物語も男性アクション中心だったシーズン1に加えて、マニックスがアルメニア系であること、父親が健在で仲たがいをしていたこと(後に和解する)が語られるエピソードがあるなど、内容も豊富になった。
特に、黒人女優としては草分け的な存在のゲイル・フィッシャーの加入は、黒人社会に潜む問題をテーマにすることもあり、ペギーが活躍するエピソードも存在するので、ほぼ出ずっぱりになるコナーズの負担軽減にもなったようだ。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)ゲイル・フィッシャー(右)
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)ロバート・リード(左)
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)※コナーズが実際にレース用カートを運転する。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)※マニックスの父親が登場する。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1967年-1975年)グレッグ・モリス(左)
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(1968年-1975年)
コナーズの生涯のあたり役となった『マニックス特捜網』が2008年にDVD化されるにあたりファーストシーズンで共演したジョセフ・カンパネラと対談した特典映像は、同番組のフォーマット変更の理由、および、パイロット版撮影中にコナーズが左手首骨折と右肩脱臼という負傷を抱えたまま撮影を強行したことなど貴重な事実が明らかにされた。
『マニックス特捜網』のパイロット版に出演したとき41歳になっていたコナーズは男優としては男ざかりであるが、アクション俳優としては体力的に下り坂であった。
しかし、コナーズは持ち前の旺盛な体力と高い運動性能そしてアクションへのこだわりと研究熱心さで8シーズン、足かけ8年にわたりコナーズは主人公の「ジョー・マニックス」を演じたのである。
マイク・コナーズは『マニックス特捜網』の主人公である「ジョー・マニックス」とは不可分であり、番組放送中および終了後も他の番組で「ジョー・マニックス」を演じている。多くの俳優が自らのイメージが固定することを嫌う中で、最もファンに支持されているキャラクターを長年にわたり演じ続けたコナーズ。コナーズは劇場公開映画『Nobody Knows Anything!(2003年アメリカ)』まで1967年から2003年まで、実に36年にわたり何らかの形で「ジョー・マニックス」を演じたことになる。
1971年、テレビシリーズ『Here's Lucy(陽気なルーシー)』へのゲスト出演は『マニックス特捜網』にかかりきりだったコナーズにとっては重要な出張出演である。『マニックス特捜網』のファーストシーズンの製作はデジルゥ・プロダクションズであり、女優でありコメディエンヌだったルシル・ボールが社長だった。その後、スタジオは売却されたが『マニックス特捜網』は同製作会社の最後のヒットドラマとなったのである。元社長が主演のコメディショウにジョー・マニックス役としてゲスト出演したコナーズは、ルシル・ボールとともに体力勝負のギャグを披露しエンディングでは本当に汗だくになる大活躍をしたのである。
画像:テレビシリーズ『陽気なルーシー』(1971年)ルシル・ボール(右)
画像:テレビシリーズ『陽気なルーシー』(1971年)ルシル・ボール(左)
1975年、『マニックス特捜網』終了後、スター俳優になったコナーズはテレビシリーズやテレビムービーに主要な役どころでゲスト出演する。
1976年、テレビムービー『Revenge for a Rape(リベンジ・野獣たちのレイプ)』では妊娠した若い妻と避暑地に出かけ、そこで妻を強姦されてしまい子供も失う中年男の役だった。妻のおぼろげな記憶を頼りに、犯人とおぼしき男たちを追いつめて殺害するのだが、実は全員無関係で、カン違い殺人だったという救いようのないストーリーであった。
1979年、Mark Robson(マーク・ロブソン)監督の劇場公開用映画『Avalanche Express(アバランチエクスプレス)』はコナーズにとって久しぶりの映画出演となった。役どころも主演のLee Marvin(リー・マーヴィン)をサポートする役どころで、東側から亡命するRobert Shaw(ロバート・ショウ)をフォローする米国調査員だった。本作品は監督のマーク・ロブソン、主演の一人であるロバート・ショウの遺作でもある。
画像:劇場公開用映画『Avalanche Express(アバランチエクスプレス)』(1979年)リー・マーヴィン(左)、ジョー・ネイマス(中)
1979年、テレビムービー『High Midnight(恐怖のバースデーパーティー)』では麻薬捜査官のリーダーという役どころ。麻薬の売人の家を急襲し、そこにいた家人を皆殺しにしたが、実はまったく無関係の民間人の家だった。一人だけ生き残ったその家の夫が、復讐する話だが、まだ『マニックス特捜網』のイメージが残っていた視聴者にとっては、実行犯ではないにしろ、女性や子供を殺害した事実を隠ぺいし、あまつさえ、生き残った夫まで殺害しようとする悪役のコナーズは衝撃的だったかもしれない。
1981年、テレビシリーズ『Today's F.B.I.(F.B.I.フォーメーション5)』(1981年-1982年)3本目の主演レギュラーを獲得したコナーズは、年齢的にも若手のメンバーをリードする役どころになっていた。
1982年、テレビシリーズ『The Love Boat(ラブ・ボート)』ではトルコを舞台にしたラブストーリーに元宝石泥棒という役どころでゲスト出演し、Polly Bergen(ポリー・バーゲン)と共演した。
画像:テレビシリーズ『The Love Boat』(1982年)
1985年、イタリア人俳優のTony Lo Bianco(トニー・ロー・ビアンコ)監督の劇場公開用映画『Too Scared to Scream(仮面のレジデンス/殺意のシナリオ」)』では出演のみならずプロデューサーも兼任した。変質者による連続殺人事件の犯人を主人公である女刑事のAnne Archer(アン・アーチャー)とともに捜査するヴェテラン刑事という役どころで、容疑者を乱闘で叩きのめすがあっさり逆転されて負傷しアン・アーチャーに助けてもらうという往年のジョー・マニックスのその後のような役だった。しかし、最後は真犯人に襲撃され重傷を負いながらもピンチになった主人公を助けるという美味しい活躍、さすがプロデューサー兼任であるなと思わせた。
画像:劇場公開用映画『Too Scared to Scream(仮面のレジデンス/殺意のシナリオ」)』(1985年)
画像:劇場公開用映画『Too Scared to Scream(仮面のレジデンス/殺意のシナリオ」)』(1985年)※老眼鏡使用中
画像:劇場公開用映画『Too Scared to Scream(仮面のレジデンス/殺意のシナリオ」)』(1985年)アン・アーチャー(右)
1989年、テレビシリーズ『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』では主演のジェシカ(Angela Lansbury:アンジェラ・ランズベリー)の旧友でかつての恋人とその娘のために汚名を着て死んでしまう作家を演じた。
画像:テレビシリーズ『ジェシカおばさんの事件簿(1989年)』アンジェラ・ランズベリー(左)
1993年、テレビムービー『Hart to Hart Returns』は1979年-1984年に人気ドラマだった『探偵ハート&ハート』の復活版で1話完結のミニシリーズとして制作された。往年のテレビスターが毎回ゲスト出演するもので、コナーズはトップバッターとして登場した。アナクロな実業家で主演のRobert Wagner(ロバート・ワグナー)の親友という役どころ。『プロ・スパイ』のワグナー、『マニックス特捜網』のコナーズ、70年代の探偵ドラマファンにはうれしいキャスティングとなった。
画像:テレビムービー『Hart to Hart Returns』(1993年)
1995年、テレビシリーズ『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』に再びゲスト出演したコナーズは2つのエピソードで映画会社の社長を演じた。コナーズはジェシカの小説を映画化するよきパートナーとして撮影所で発生した2つの事件について彼女に協力する。
画像:テレビシリーズ『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』(1995年)アンジェラ・ランズベリー(左)
画像:テレビシリーズ『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』(1995年)
画像:テレビシリーズ『Murder, She Wrote(ジェシカおばさんの事件簿)』(1995年)アンジェラ・ランズベリー(左)
1997年、テレビムービー『James Dean: Race with Destiny (傷心 ジェームズディーン愛の伝説) 』 では夭折した天才肌のスター、ジェームス・ディーンに立ちはだかるワーナーブラザースの社長、ジャック・ワーナーを演じた。
画像:テレビムービー『James Dean: Race with Destiny (傷心 ジェームズディーン愛の伝説) 』(1997年)
2007年、テレビシリーズ『Two and a Half Men(チャーリー・シーンのハーバー★ボーイズ)』(2007/5/14, Two and a Half Men: Season 4, Episode 24, )にゲスト出演して以来、第一線から遠ざかるがインタビューなどには応じているようだ。
若い頃のコナーズの身長は公称6フィート、1と1/2インチ(1.87メートル)体重は180lbs(81キログラム)。コナーズの身体的な特徴は長身で筋肉質であること、腕が長く手が大きいこと、さらにアルメニア人の特徴でもあるが彼はとても毛深い性質だ。髪の毛はブラウン、コナーズによると「若いころは髪の毛がくせ毛でグシャグシャしていたのでヘアスタイリストをてこずらせた」とのことである。瞳の色はグリーン、大変に彫の深い顔立ちである。
コナーズの声質はダミ声に近いが、彼の声はよく響いてよく通る。1998年テレビアニメ『Hercules(ハーキュリーズ)』でアテネ市の治安を維持するChipaclesの声も担当した。「Chipacles」の略称は「CHiPs(白バイ警官)」である。
コナーズは1949年に結婚して以来、離婚歴はない。子供は二人とも俳優にはなっていない。