男性アクションtype-B(Home)|ジョセフ・カンパネラ(ジョセフ・キャンパネラ):Marcus Welby, M.D.
Marcus Welby, M.D.(ドクター・ウェルビー)
Dance to No Music
Season 1, Episode 18, 1970年
画像:テレビシリーズ『ドクター・ウェルビー』(1970年)
Wikipedia:http://en.wikipedia.org/wiki/Marcus_Welby,_M.D.
IMDb:http://www.imdb.com/title/tt0641867/
Summary
病院を共同経営しているウェルビー医師とカイリー医師、そして看護師のコンスエロがおりなす医学ドラマ。1969年-1976年、ABCで放送された。人情派のウェルビー医師に対して、年齢も若い合理主義のカイリー医師は時には意見が対立することもあるが良きパートナーである。
出演:テレビシリーズ「パパはなんでも知っている」のRobert Young(ロバート・ヤング)、映画「ウエストワールド」のJames Brolin(ジェームズ・ブローリン)、テレビ女優のElena Verdugo(エレーナ・ヴェルダゴ)
レオ・マズロー(ジョセフ・カンパネラ)は優秀な学者だが自分が父方からの遺伝性の病気、ハンチントン病を引き継いでいることをマーカス・ウェルビー医師(ロバート・ヤング)に相談する。
マズローの妻、アビー(Joan Darling:ジョーン・ダーリング)が妊娠したからだ。
マズローは自身の不随意運動を気にしており、アビーの妊娠を知ってから症状が悪化していることを心配していた。
マズローは祖父がハンチントン病だということは知っていたが本当に遺伝しているのかどうか確かめるために、マズローが小さいころにカナダで亡くなった父親の死因を確かめることにする。
学会での発表を控えているマズローには悩みがあった。
ウェルビーが来ているのに興奮して声を荒げてしまったマズロー。
手の痙攣が最近ひどくなってきたことをマズローはウェルビーに相談する。
ハンチントン病の症状を気にするマズローをはげますアビー。
ハンチントン病で寝たきりになってそのまま亡くなった祖父の思い出を辛そうに語るマズロー。
カナダに住んでいる叔母を訪ねるマズロー、どうやら叔母にはハンチントン病の症状は出ていない。しかし、彼女の口から、父親の手がいつも痙攣していたと聞かされたマズローは絶望してしまう。
父親にもハンチントン病の症状が出ていたことを知り、愕然とするマズロー。
マズローは大切な学会での発表の準備のためのストレスもあって吃音や歩行困難の症状も現れ始める。 ウェルビー医師の優秀な同僚のカイリー医師(ジェームズ・ブローリン)によるとマズローには顕著な染色体異常が見当たらない。
それに、マズローの祖父がハンチントン病だというのも古い医療による判断なので断定できないと言う。 ウェルビー医師は、マズローの痙攣や吃音が心因性の偽性舞踏病ではないかと疑い、賭けに出る。
症状が悪化したマズローは発表用の資料づくりに没頭するが手足が痙攣してしまい思うようにいかない。
アビーは無理をしないように止めるが、マズローはこの発表に賭けていた。
学会での発表当日、マズローは全身の不随意運動が激しくなったので途中で帰ってしまったという。アビーが原稿だけでも発表してほしいとウェルビーのところへ持ってくるが、ウェルビーは時間がないから来年にしてくれと冷たく断った。
憤慨するアビー、そしてマズローが欠席のまま学会は始まる。司会のウェルビーがアジェンダを紹介している最中、マズローがぎこちない歩き方で会場に姿を現した。
マズローは医学にコンピュータを導入する効果について用意した原稿を発表しようとしたがウェルビーは2分しか時間をくれなかった。怒ったマズローが毅然としてウェルビーに抗議を始めたところ、不随意運動は完全に止まってしまう。
驚くマズロー、そして作戦の成功を確信したウェルビーであった。
発表を断られたマズローはウェルビーに抗議するために、全身の痙攣症状が激しいまま会場へやっと到着した。
ウェルビーに発表を断った理由を問いただしているうちにマズローの症状が無くなっていく。
マズローの症状はストレス性の偽性舞踏病だったのだ。
マズローに気力を奮い立たせるためにわざと怒らせた作戦が成功して満足顔なウェルビー。
遺伝病ではないことがわかったので、安心して生まれてくる子供を待つことにしたマズローとアビー。
日本でも放送された医療ドラマ『ドクター・ウェルビー』にカンパネラはハンチントン病(ハンチントン舞踏病)の”患者”という難しい役どころでゲスト出演した。
物議をかもしそうな内容だし、医学的なアドバイザーを得ているが、不随意運動が徐々に終息するラストの演説シーンはカンパネラもかなり消耗したと思われるが、その結果は感動的な名演と呼べるものになった。