男性アクションtype-B(Home)|ジョセフ・カンパネラ(ジョセフ・キャンパネラ):Biography
ジョセフ・カンパネラ(Joseph Campanella)
画像:テレビシリーズ『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1968年)
Wikipedia:http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Campanella
IMDb:http://www.imdb.com/name/nm0132103/
allcinema:http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=39477
[主な出演作品]
舞台『A Gift of Time』(1962年、Ethel Barrymore Theatre)ダニエル・ステイン役
舞台『The Captains and the Kings』(1962年、Playhouse Theatre)カール・ロメオ役
舞台『Hot Spot』(1963年、Majestic Theatre)ガブリエル・スナッパー役
テレビシリーズ(ゲスト)『The Nurses』(1962年)
テレビシリーズ(ゲスト)『Route 66(ルート66)』(1962年-1963年)
テレビシリーズ(ゲスト)『Combat!(コンバット)』(1963年-1964年)
テレビシリーズ(ゲスト)『The Practice(ボストン弁護士ファイル)』(1998年-2001年)
テレビムービー『Death at the Stock Car Races』 (1964年)
テレビムービー『Skyway to Death(恐怖のロープウェイ脱出)』(1974年)ボブ・パーソンズ役
テレビムービー『Murder Once Removed(殺しの診断書)』(1971年)フィル・プロクター役
テレビシリーズ(レギュラー)『Mannix(マニックス特捜網)』(1967年-1968年、シーズン1)ルウ・ウィッカーシャム役
テレビシリーズ(レギュラー)『The Bold Ones: The Lawyers』(1969年-1972年)ブライアン・ダレル役
テレビシリーズ(レギュラー)『The Colbys』(1985年-1986年、シーズン1)ハック・コリガン役
テレビシリーズ(レギュラー)『Days Of Our Lives / DOOL』(1987年-1988年、1990年-1992年)ハーパー・デヴロー役
テレビシリーズ(セミレギュラー)『One Day at a Time』(1976年-1982年)エド・クーパー役
テレビシリーズ(セミレギュラー)『That's Life』(2000年-2001年)ジョー役
テレビシリーズ(セミレギュラー)『The Bold and the Beautiful』(1996年-2005年)ジョナサン・ヤング役
テレビシリーズアニメーション(声)『Spider-Man(スパイダーマン)』(1994年-1997年)カート・コナーズ役
テレビシリーズドキュメンタリー(ホスト)『Science International』(カナダ製作、1976年)
テレビミニシリーズ(ナレーター)『Pearl(真珠湾)』
劇場用映画『The St. Valentine's Day Massacre(聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ)』(1967年)アルバート・ウィンシャンク役
劇場用映画『BEN(ベン)』(1972年)カートランド役
劇場用映画(クレジット無)『Silent Running(巨大宇宙ステーション/サイレントランニング)』(1972年)バークシャー役(声)
[受賞歴]
トニー賞(主演男優賞)ノミネート:『A Gift Time』(1962年)ダニエル・ステイン役
エミー賞(助演男優賞)ノミネート:『Mannix(マニックス特捜網)』(1968年)ルウ・ウィッカーシャム役
デイタイム・エミー賞ノミネート:『Days Of Our Lives』(1989年)ハーパー・デブロー役
Biography
■バイオグラフィ【短縮版】(2012/09/08:更新)
※本文中の年次( )内は出演時
本名:Joseph Anthony Campanella(ジョセフ・アンソニー・カンパネラ)
芸名(別表記):Joe Campanella、Joe A. Campanella
俳優のキャリアは50年以上、出演タイトル数はテレビや映画を含めて200以上にもおよぶ、イタリア系の性格俳優である。1924年11月21日(1927年生まれ表記もあり)、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市生まれ。父親はイタリアのシチリア島からの移民、兄のFrank Campanella(フランク・カンパネラ、2006年死去)も俳優。第二次世界大戦中は海軍に従軍、終戦後、マンハッタン大学を経て、コロンビア大学で演劇を学ぶ。
画像:テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)※劇中に登場する写真※
1952年ごろからテレビに端役で出演、1954年、『Tonight in Samarkand』(ニュージャージー州プリンストン、McCarter Theatre、ほかで上演)のアンジェロ役で舞台デビュー、以降は舞台出演を続けながらテレビシリーズに脇役として出演する。
1962年、舞台『A Gift of Time』(ニューヨーク、Ethel Barrymore Theatre)のダニエル・ステイン役でトニー賞にノミネートされる。
1967年、テレビシリーズ『Mannix(マニックス特捜網)』(Desilu Productions、CBS :1967年-1968年)のルウ・ウィッカーシャム役でレギュラーを獲得する。同番組でエミー賞助演男優賞にノミネートされる。
その後、テレビシリーズ『The Bold Ones : The Lawyers(日本未放送)』(NBC:1969年-1972年)ブライアン・ダレル役でレギュラーを獲得する。このドラマはベテラン弁護士のウォルター・ニコラス(Burl Ives :バール・アイヴス)に雇われている若手の弁護士兄弟の兄、ブライアン・ダレルという役どころで主演したエピソードも多い。弟のニール・ダレル(James Farentino:ジェームズ・ファレンティノ)とは性格が反対。
1970年代、1980年代には多数のテレビムービーに主演ないし準主演、さらには劇場用映画にも出演する。
ソープオペラ『Days of Our Lives / DOOL(日本未放送)』(NBC:1987年-1988年, 1990年-1992年)にハーパー・デブロー役で不定期に連続して出演。同番組で1989年デイタイム・エミー賞助演男優賞にノミネートされる。
CBSで放送されたソープオペラ『The Bold and the Beautifu(日本未放送)』(CBS:1996年-1997年、1999年、2000年-2005年)にジョナサン・ヤング役で不定期に連続して出演。
CBSで放送されたコメディドラマ『That's Life(ザッツ・ライフ~リディアの人生ゲーム~)』(CBS:2000年-2001年)にジョー役で不定期に連続して出演。
2008年テレビシリーズ『マニックス特捜網(Mannix)』のファーストシーズンがDVD化されるにあたり、主演のMike Connors(マイク・コナーズ)と対談した。
最新作は2009年劇場公開用の低予算映画『Lost Dream(日本未公開)』のエミール役。
私生活では1964年、Kathryn Jill Bartholomew(キャサリン・ジル・バーソロミュー)と結婚、離婚歴はない、息子が7人いる。
□Frank Campanella(フランク・カンパネラ)
画像:『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1968年):フランク・カンパネラ
Frank Campanella(フランク・カンパネラ)は1919年3月19日生まれ。長身(若い頃の公称:6フィード5インチ、1.96 m)の性格俳優として活躍した。フランク・カンパネラはイタリア語が堪能であったため、第二次世界大戦中は民間人の通訳として合衆国政府のために働いた。
フランク・カンパネラはマンハッタン大学で演劇を学び、1949年にデビューし100タイトル以上に出演し、2006年12月30日にロスアンゼルスの自宅で死去した。
弟のジョセフが知的なイメージなのと比較して、兄のフランクは頼りがいのある大男、タフガイという印象。
兄のFrank Campanella(フランク・カンパネラ)とカンパネラは7回共演しており、最後の共演は『The Rockford Files(ロックフォードの事件メモ): Season 2, Episode 18 「In Hazard」』(NBC:1976年)である。
画像:『The Rockford Files(ロックフォードの事件メモ)』(NBC:1976年)「In Hazard」:フランク・カンパネラ
画像:『The Rockford Files(ロックフォードの事件メモ)』(NBC:1976年)「In Hazard」:ジョセフ・カンパネラ
■バイオグラフィ【詳細版】(2012/09/27:更新)
※本文中の年次( )内は出演時
カンパネラは50年以上にもわたり、主にアメリカのテレビシリーズ、テレビムービーで活躍する、長身で精悍な風貌の性格俳優である。
1924年11月21日ニューヨーク州ニューヨーク市にイタリアのシチリア島からの移民の子息として生まれたカンパネラはイタリア系アメリカ人として育った。
カンパネラの父親、Philip Campanella(フィリップ・カンパネラ)は音楽家であり、初期のアメリカ音楽協会のメンバーだった。兄のフランク・カンパネラもまた俳優であった。
カンパネラは第二次世界大戦中、海軍に従軍、終戦後は兄と同じマンハッタン大学で演劇を学び、さらにコロンビア大学に通って演劇を学んだ。
1952年、テレビシリーズ『Suspense(日本未放送)』(CBS:1952年)に端役で出演する。
1954年、ニュージャージー州プリンストンにあるMcCarter Theatreで『Tonight in Samarkand』で舞台デビューを果たす。以降、カンパネラは舞台で活躍しながらテレビシリーズに脇役で出演するようになる。
1957年、劇場公開用映画『Four Boys and A Gun』(Security Pictures、United Artists)に警官役でスクリーンデビューしているがクレジットはされていない。
画像:劇場公開用映画『Four Boys and a Gun』(Security Pictures、United Artists:1957年)
カンパネラの名前が知られるようになるのは、1962年、舞台『A Gift of Time』(ニューヨーク、Ethel Barrymore Theatre)のダニエル・ステイン役でトニー賞にノミネートされてからである。
この年以降、ジョセフ・カンパネラは数多くの人気ドラマシリーズに主要な役どころでゲスト出演しさまざまな性格の人物を巧みに演じ分け、悪役からコミカルな役どころまで難なくこなす、貴重なバイプレイヤーとして頭角をあらわす。
1962年、テレビシリーズ『The Untouchables』(Desilu Productions、ABC)へのゲスト出演では、高圧的で残忍な性格のギャングを演じた。
画像:テレビシリーズ『The Untouchables』(Desilu Productions、ABC:1962年)「The Floyd Gibbons Story」
1963年、テレビシリーズ『Combat!』(ABC)へのゲスト出演では、過去の作戦失敗からトラウマを抱えてしまい、部下に子供の写真を焼かせる冷徹な司令官を演じた。
画像:テレビシリーズ『Combat!』(1963年)「Commando」(ABC:1963年)
1963年、テレビシリーズ『The Verginian』(NBC)へのゲスト出演では、ラテン系の流れ者グループのリーダーでアクの強い悪役を演じた。
画像:テレビシリーズ『The Virginian』(NBC:1963年)「Siege」
1964年、テレビシリーズ『The Verginian』(NBC)へのゲスト出演では、前回の悪役とは違い、親権を取り返そうとしている母親に雇われた私立探偵を演じた。途中までは謎めいた役どころだったが、最後は子供のために親権を放棄した母親をフォローするひと癖ある人物を好演した。
画像:テレビシリーズ『The Virginian』(NBC:1964年)「The Long Quest」
1964年、テレビシリーズ『The Invaders』(ABC)へのゲスト出演では、宇宙からの侵略者に利用される善良な神父の役だった。
画像:テレビシリーズ『The Invaders』(ABC:1964年)「Storm」
1964年、カンパネラは舞台で共演したKathryn Jill Bartholomew(キャサリン・ジル・バーソロミュー)との結婚を機会に、テレビに活動の拠点を集中するようになる。カンパネラ自身が語ったところによると「結婚するまでは演技することがすべてだったが、結婚してからは家庭を最優先することにした。家族と過ごす時間を大切にしたいので(拘束時間の長い)映画の仕事はやめてテレビに出るようにした」さらに「演技は生活のため」と言い切る。
およそ、役どころには生活感のないカンパネラであるが、本人は愛妻家であり、いたって家庭的な人物である。
画像:テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)※劇中に登場する写真※
画像:テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)※劇中に登場する写真※
カンパネラの役どころはさらに多彩になっていき、当時の人気テレビシリーズに次々と主要な役どころでゲスト出演を続けていた。
1966年、テレビシリーズ『Shane』(ABC)へのゲスト出演では、偽物の薬を高値で売りさばく詐欺師の役だった。
画像:テレビシリーズ『Shane』(ABC:1966年)「Killer in the Valley」
1966年、テレビシリーズ『The Big Valley』(ABC)へのゲスト出演では、バスク人のリーダーを演じ、同族にかけられた殺人罪の濡れ衣をはらす、たくましい役どころだった。
画像:テレビシリーズ『The Big Valley(バークレー牧場)』(ABC:1966年)「The Martyr 」
1966年、テレビシリーズ『Mission: Impossible』(CBS)へのゲスト出演では、東側の化学者を演じ、社会主義の将来性に悲観し亡命を決意すると言う役どころだった。
画像:テレビシリーズ『Mission: Impossible』(Desilu Productions、CBS:1966年)「The Reluctant Dragon」
1967年、テレビシリーズ『Mission: Impossible』(CBS)へのゲスト出演では、レギュラー出演していた『Mannix(マニックス特捜網)』と同じスタジオで制作されていた同テレビシリーズとかけもちだった。役どころは東側のスパイに情報を売り渡す軍人という役どころだった。
画像:テレビシリーズ『Mission:Impossible(スパイ大作戦)』(CBS:1968年)「The Spy(第二の防衛配置図)」
1967年、ジョセフ・カンパネラはテレビシリーズの人気ドラマでレギュラーを獲得する。テレビシリーズ『Mannix(マニックス特捜網)』(Desilu Productions / CBS:1967年-1968年)のシーズン1で、コンピュータを駆使する犯罪調査会社の重役であり、マイペースな調査員のマニックス(Mike Connors:マイク・コナーズ)の厳格な上司であり親友でもあるルウ・ウィッカーシャム役であった。
画像:『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1968年)
『Mannix(マニックス特捜網)』は人気が出て8シーズンのロングランとなったが、カンパネラはシーズン1のみ出演した。当時の製作会社、Desilu Productions(デシルゥ・プロダクションズ)の社長だった女優のLucille Désirée Ball(ルシル・ボール)とプロデューサーのBruce Geller(ブルース・ゲラー)が、ハイテク技術がまだ家庭に受け入れられにくいと判断し番組のフォーマットを変更したからである。この判断はシーズン2以降、番組の人気を向上させたが、カンパネラは降板させられてしまったのである。カンパネラは『Mannix(マニックス特捜網)』の演技が評価され、エミー賞助演男優賞のノミネートを得た。
画像:『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1968年):マイク・コナーズ(右)
画像:『Mannix(マニックス特捜網)』(CBS:1967年-1968年):マイク・コナーズ(右)
『Mannix(マニックス特捜網)』降板後、カンパネラはすぐに新たなテレビシリーズのレギュラーを獲得する。
テレビシリーズ『The Bold Ones: The Lawyers(日本未放送)』(NBC:1969年-1972年)のブライアン・ダレル役である。ベテラン弁護士のウォルター・ニコラス(Burl Ives :バール・アイヴス)に雇われている若手の兄弟弁護士の兄、ブライアン・ダレル役を演じたカンパネラは知的な弁護士という役どころで人気を博した。
画像:テレビシリーズ『The Bold Ones : The Lawyers(日本未放送)』(NBC:1969年-1972年)
『Mannix(マニックス特捜網)』、『The Bold Ones : The Lawyers(日本未放送)立て続けにレギュラーを獲得して知名度が上がったカンパネラは、多くの人気テレビシリーズやテレビムービーに主要な役どころとしてゲスト出演するようになる。
1969年、テレビシリーズ『The Doris Day Show(Season 1, Episode 21「The Con Man」)』(CBS:1969年)のロジャー・フランダース役はカンパネラのソフトな面が生かされていた。
画像:テレビシリーズ『The Doris Day Show』(CBS:1969年)「The Con Man」
1970年、テレビシリーズ『Marcus Welby, M.D.(ドクター・ウェルビー)』(ABC:1970年)「Dance to No Music」のレオ・マズロー役でカンパネラはハンチントン病(当時はハンチントン舞踏病)の症状に苦しむ科学者という難しい役どころを演じた。医学的なアドバイスを受けているだろうし、物議をかもしそうな内容で、カンパネラもかなり消耗したとは思うが、不随意運動を克服するラストの演説シーンは感動的。
画像:テレビシリーズ『Marcus Welby, M.D.(ドクター・ウェルビー)』(ABC:1970年)「Dance to No Music」:ジョアン・ダーリング(右)
1971年、テレビシリーズ『Alias Smith and Jones(西部二人組)』(ABC:1971年)「The 5th Victim」のジェイク役は妻に横恋慕した男を返り討ちにして逃亡するという渋い役どころだった。
画像:テレビシリーズ『Alias Smith and Jones(西部二人組)』(ABC:1971年)「The 5th Victim」
1971年、テレビムービー『Murder Once Removed(殺しの診断書)』(Bob Markell Productionsほか、CBS:1971年)では面倒見の良いフィル・プロクター警部を演じ、Barbara Bain(バーバラ・ベーン)の夫を殺したohn Forsythe (ジョン・フォーサイス)をカッコよく逮捕したが、実は一連の事件を計画したバーバラ・ベーンを脅して関係を迫るというクセのある役どころを演じた。
画像:テレビムービー『Murder Once Removed(殺しの診断書)』(Bob Markell Productionsほか、CBS:1971年)
画像:テレビムービー『Murder Once Removed(殺しの診断書)』(Bob Markell Productionsほか、CBS:1971年)
1972年、カンパネラは『Mannix(マニックス特捜網)』シーズン6「The Crimson Halo 」にグラハム・スピネル医師役でゲスト出演を果たす。降板させられた番組に対してなにかわだかまりでもあるかと思ったが、ホッとしたファンもいたはずだ。
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(CBS:1972年)「The Crimson Halo」
画像:テレビシリーズ『マニックス特捜網』(CBS:1972年)「The Crimson Halo」マイク・コナーズ(左)
カンパネラの劇場公開用の代表作は、1972年『Ben(ベン)』(Bing Crosby Productions:1972年)のカートランド警部役ということになると思う。ドブネズミと孤独な青年のウィラードとの交流を描いた『Willard(ウィラード)』の続編ということであるが、今回のドブネズミは凶暴で、アバンタイトルでは前作の主人公を演じたBruce Davison(ブルース・デーヴィソン)が食いちぎられていた。
カンパネラは、ドブネズミのリーダー、ベンと友情をめいたものが芽生える少年ダニー(Lee Montgomery、リー・モントゴメリー)に振り回されてキレかかるが、下水路におけるドブネズミ焼殺作戦ではいい声で指揮をしていた。今ではカルトな人気がある作品だが、中途半端な動物パニック映画という評価も得ているので、いくら仕事を選ばないカンパネラでも、ある意味、黒歴史になりつつあるのでファンは見て見ぬふりをしてあげたい。
画像:劇場用映画『Ben』(1972年)
1973年、テレビシリーズ『Mary Tyler Moore(Season 3, Episode 22 「Remembrance of Things Past」) 』(MTM、CBS:1973年)では色男のトム・ヴァーノン役でメアリー・タイラー・ムーアに求婚するがピザにアンチョビが乗っていたことを理由に断られて半ベソをかくという、カッコいいけどちょっと間抜けという役どころを演じた。
画像:テレビシリーズ『Mary Tyler Moore』(MTM、CBS:1973年)メアリー・タイラー・ムーア(右)
1974年、テレビシリーズ『Police Story(ポリスストーリー)』(NBC:1974年)「The Gamble」のマーク・ヴィターレ役は色仕掛けで女刑事ペパー(アンジー・ディッキンソン)にハメられる違法賭博組織の幹部という役どころ。逮捕されるときには「俺に惚れてたんじゃないのか?」と悔し紛れにアンジー・ディッキンソンに問いただし「タイプじゃないわ!」と言い返されていた。
画像:テレビシリーズ『Police Story(ポリスストーリー)』(NBC:1974年)「The Gamble」
画像:テレビシリーズ『Police Story(ポリスストーリー)』(NBC:1974年)「The Gamble」アンジー・ディッキンソン(左)
1974年、カナダで製作された劇場公開用映画『Child Under a Leaf(日本未公開)』では妻(Dyan Cannon:ダイアン・キャノン)を虐待する家庭内暴力夫のジェラルド役。、妻の浮気に逆上して赤ん坊を強奪し、ダイアンキャノンに殺されそうになる、カンパネラ曰く「頭の狂った夫」を演じた。カンパネラが演じた役どころの中でもっともエキセントリックな役どころの一つ。
1974年、テレビムービー『The Blazing Tower on the 40th Floor(燃える超高層ビル/ファイヤー・インフェルノ)』(Metromedia Producers Corporation、CBS:1974年)は明らかにパニック映画の金字塔『タワーリングインフェルノ』のバッタもんのドラマでクリスマスパーティーの会場であった高層階から脱出を図るという役どころで奮闘もむなしく転落死していた。
1974年、テレビムービー『Skyway to Death(恐怖のロープウエイ脱出)』(Universal TV、ABC:1974年)のボブ・パーソンズ役では故障したロープウエイから脱出しようとするが救助のヘリコプターがブレーキを破壊してしまったので暴走を食い止めるために奮闘するカッコいい役どころ、しかも事態が深刻化しても婚約者のStefanie Powers (ステファニー・パワーズ)といちゃいちゃする余裕も見せた。
画像:テレビムービー『Skyway to Death(恐怖のロープウエイ脱出)』(Universal TV、ABC:1974年)ステファニー・パワーズ(右)
1974年、テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)では家族を事故で失った全米の強力な組合のリーダー、ジェフリー・べイン役。ここでは女殺し屋のアンジェラ役のYvette Mimieux(イヴェット・ミミュー)と大胆な濡れ場を演じた。この作品中、小道具として登場した写真はカンパネラのプライベート写真である。
画像:テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)
画像:テレビムービー『Hit Lady(悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン)』(Spelling-Goldberg Productions, ABC:1974年)イヴェット・ミミュー(右)
1976年、テレビシリーズ『One Day at a Time(日本未放送)』(CBS:1976年-1982年)は実際にスタジオへ観客を呼んで演じるシチュエーションコメディ。主人公のBonnie Franklin(ボニー・フランクリン)の夫エド・クーパー役で不定期に連続して出演。元妻に再婚報告に行って娘たちに拒絶されそうになるお父さん役でコメディアンとしての才能も証明した。
画像:テレビシリーズ『One Day at a Time』(CBS:1976年)「Dad Comes Back: Part 1 、Part2」ヴァレリア・バータイネリー(右)、マッキンゼー・フィリップス(左)
1976年、カンパネラのような大人の俳優は、およそ子供番組とは縁がないものだが、カナダで製作された『Science International(アメリカ放送時:What Will They Think Of Next?)』(1976年-1979年)ではイラストと映像で当時の最先端技術について、女性のホストとともにわかりやすく解説した。同番組は後年、アメリカの子供向け番組の放送チャンネル、Nickelodeonで放送されたが、日本では未放送である。近年、ありがたいことにYoutubeにアップされているのでどんな番組だったか確認できる。
画像:テレビドキュメンタリー『Science International(アメリカ放送時:What Will They Think Of Next?)』(1976年-1979年)
50歳を過ぎ、子育ても一段落ついたのか、たカンパネラは劇場公開用映画にも出演するようになる。
1979年、劇場公開用映画『Metor(メテオ)』(AIP:1979年)は後年『アルマゲドン』に影響を与えたと言われているSF映画である。カンパネラは政府の高官の一人であるイーストン将軍を演じた。カンパネラの劇場公開用映画への出演は前述の理由により少ないのだが、その中でも大作の部類に入る作品である。
1979年、劇場公開用映画『Defiance(摩天楼ブルース)』(Necta:1979年)では流れ者のヒーローを演じたJan-Michael Vincent (ジャン・マイケル・ヴィンセント)が治安の悪い港町からとっとと脱出しようとするのを、船員手帳の発行を渋って結果的に引き留めてギャングを粉砕させた陰の功労者だったかもしれない地方運輸局長カレンスキーを演じた。出場は2シーンしかないが、慇懃無礼な小役人役を巧く演じて強烈な印象を残す。
画像:劇場用映画『Defiance(摩天楼ブルース)』(Nedta:1979年)
1980年、ロズウェル事件が元ネタの劇場公開用映画『Hangar 18(ハンガー18)』(Sunn Classic Pictures:1980年)では政府高官フランク・ラファティ役を演じた。大統領側近で選挙のことしか頭にないRobert Vaughn(ロバート・ヴォーン)に振り回され、苦し紛れに挙句に出した思いつき「飛行機事故を偽装する作戦」で意外性のありすぎる結末を生んでいた。
画像:劇場用映画『Hangar 18(ハンガー18)』(Sunn Classic Pictures:1980年)
カンパネラの出演する映画のほとんど、プログラムピクチャーを通り越してB級テイストに満ち溢れてしまうのだが、断言しよう、どの作品でも、どんな役どころでも、カンパネラは「それらしく」巧く演じて最後に必ず味を残すのである。
1980年、テレビシリーズ『VEGA$(ベガス)』(ABC)にゲスト出演したカンパネラはイタリア人のレストラン経営者を演じ、逆恨みで復讐される役どころだった。同シリーズには2回目のゲスト出演であり、主演のRobert Urich(ロバート・ウーリッチ)ともよいコミュニケーションができていたようで、早世したウーリッチの葬儀に参列した。
画像:テレビシリーズ『VEGA$(ベガス)』(ABC)
1984年、テレビシリーズ『Airwolf(超音速攻撃ヘリ エアーウルフ)』(CBS:1984年)「Forestorm(エアーウルフ高速突入!!核弾頭弾を撃破せよ)」では核ミサイルにより第三次世界大戦の勃発を狙う退役軍人のサンダーハウワー将軍役で久しぶりにハードな悪役を演じた。
画像:テレビシリーズ『Airwolf(超音速攻撃ヘリ エアーウルフ)』(CBS:1984年)「Forestorm(エアーウルフ高速突入!!核弾頭弾を撃破せよ)」
画像:テレビシリーズ『Airwolf(超音速攻撃ヘリ エアーウルフ)』(CBS:1984年)「Forestorm(エアーウルフ高速突入!!核弾頭弾を撃破せよ)」
60歳になったカンパネラは、ソープオペラへ不定期に連続出演する。
1985年、上流社会のドロドロとした人間関係を描いた『Dynasty』からスピンオフしたテレビシリーズ『The Colbys(日本未放送)』(Aaron Spelling Productions、ABC:1985年-1986年、シーズン1)では一家の女主人であるBarbara Stanwyck(バーバラ・スタンウィック)の愛人ハック・コリガン役を演じ、色男ぶりを発揮する。
画像:ソープオペラ『Colbys』(Aaron Spelling Productions、ABC:1985年-1986年、シーズン1)バーバラ・スタンウィック(右)
このほかにカンパネラが出演したソープオペラは、1987年、テレビシリーズ『Mama’s Family(日本未放送)』(NBC:1987年-1988年)のハンソン役。テレビシリーズ『Days of Our Lives(日本未放送)』(NBC:1987年-1988年、1990年-1992年)のハーパー・デブロー役。2000年、テレビシリーズ『That's Life(ザッツ・ライフ~リディアの人生ゲーム~)』(CBS:2000年-2001年)のジョー役。『The Bold and the Beautifle(日本未放送)』(CBS:1996年-2005年)のジョナサン・ヤング役。
中でも『Days of Our Lives(日本未放送)』ではカンパネラはデイタイム・エミー賞にノミネートされた。
まことに残念なのはカンパネラが80年代以降に出演したソープオペラのほとんどが日本未放送ということだ。
70歳になったカンパネラの役どころは年齢も影響して小さくなるが、存在感を示す役どころが増える。
1997年、テレビムービー『James Dean: Race with Destiny(傷心 ジェームズ・ディーン愛の伝説)』(Cheeni Productionsほか:1997年)では夭折した俳優のジェームズ・ディーンの父親ウィントン・ディーン役。後に劇場公開用映画『スターシップ・トゥルーパーズ』でブレイクするCasper Van Dien(キャスパー・ヴァン・ディーン)がジミー役で二人が最後に会う場面をしみじみと演じた。
画像:テレビムービー『James Dean: Race with Destiny(傷心 ジェームズ・ディーン愛の伝説)』(Cheeni Productionsほか:1997年)キャスパー・ヴァン・ディーン(右)
カンパネラの若いころは、その知性的なムードは知能犯の色悪で生かされることが多かったが、年齢を重ねた後は、重厚なリーガルドラマなどで判事や弁護士などの役どころを演じることが多くなった。
1998年、テレビシリーズ『Melrose Place(メルローズプレイス)』(Foxネットワーク:1998年)ではセクハラ問題を審議する査問官ベイリー・ダナット役。
画像:テレビシリーズ『Melrose Place(メルローズプレイス)』(Foxネットワーク:1999年)
1998年、テレビシリーズ『The Practice(ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル)』(ABC:1998年、1999年、2001年)複数のエピソードにジョセフ・カンプ判事役で出演。
画像:テレビシリーズ『The Practice(ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル)』(ABC:1998年、1999年、2001年)
1999年、テレビシリーズ『Early Edition(日本未放送)』(CBS:1999年)「The Last Untouchable」のマグルーダー役は一転してコミカルな役どころを演じた。50年前にシカゴギャングのアル・カポネ(アルフォンス・カポーン)が隠匿した大金を引退後も探している元財務局の調査官という役どころで、同じく50年前に逮捕された元シカゴギャングのErnest Borgnine(アーネスト・ボーグナイン)と共演した。
72歳のカンパネラと82歳のボーグナインがオシャレなスーツで大声張り上げて言い争いをしたり、マシンガンを乱射したり、大ヴェテランにも往年のハードなイメージを尊重して素敵な役どころをちゃんと用意する、ハリウッドの懐の深さが素晴らしい。
画像:テレビシリーズ『Early Edition』(CBS:1999年)「The Last Untouchable」
画像:テレビシリーズ『Early Edition』(CBS:1999年)「The Last Untouchable」アーネスト・ボーグナイン(右)
2001年、テレビシリーズ『Star Trek: Voyager(スタートレック:ヴォイジャー)』(パラマウントテレビジョン、UPN:2001年)「Author, Author(夢見るホログラム)」ではホログラムによる小説の著作権をめぐる問題の仲裁のために連邦から派遣された裁定官という役どころだった。
画像:テレビシリーズ『Star Trek: Voyager(スタートレック:ヴォイジャー)』(パラマウントテレビジョン、UPN:2001年)「Author, Author(夢見るホログラム)」
80歳になったカンパネラは出演作品こそ少なくなったが俳優としてのキャリアを積む。
2007年、テレビムービー『Christmas at Cadillac Jack's』ではジョー・ジェンキンス役で、黄色いキャデラックに乗ってクリスマスに娘を探す旅に出るハートフルコメディで主演する。
2008年、独立系の劇場公開用映画『For Heaven's Sake(日本未公開)』のドナルド・ミークス役ではヒロインが過去と天国で出会うターミナル駅のポーターを演じひょうひょうとした魅力を醸し出した。
2009年、低予算の劇場公開用映画『Lost Dream(日本未公開)』のエミール役では両親にスポイルされたジョヴァンニ(Shaun Sipos:ショーン・サイパス)の祖父という役どころで孫の怒りに混乱し深い悲しみに沈む老人をしみじみと演じた。
画像:劇場用映画『For Heaven's Sake』(2007年)
画像:劇場用映画『Lost Dream(ロスト・ドリーム)』
カンパネラは声の良さと演技力でも高く評価されている俳優である。舞台経験が豊富なだけに、よく通る声質と滑舌の良さ、さらにアクセントやイントネーションを巧みに使い分けてさまざまな国籍の人物を演じ分ける。
ドキュメンタリー番組のナレーション、アニメーションの声優、高級乗用車BMWのCMのキメ台詞「BMW... the ultimate driving machine.」を担当していたこともあるようだ。
テレビドキュメンタリー『National Geographic Specials』(1968年-1971年)や『Biography:Charles Darwin Evolution's Voice』(A&E Television Networks:2000年)のナレーション、テレビアニメ『Batman(バットマン)』(1993年)、オリジナルビデオアニメ『Spider-Man(Sins of the Fathers)』(1996年)、テレビアニメシリーズ『Spider-Man(スパイダーマン)』(1994年-1997年)他にもバラエティ番組のナレーションなども多数ある。
カンパネラの若いころの身長は公称で6フィート1インチ(1.85メートル)瞳の色はブルー、髪の毛の色は黒色に近いダークブラウンだが50歳ごろから綺麗な白髪になる。ずっとスリムな体型を維持していたが胸板がかなり分厚いので、いかつい印象である。彫の深い顔立ちで顎がガッシリしており、かなりな猫背である。
1950年代の前半から2009年まで、今のところだがカンパネラの俳優としてのキャリアは60年に迫る勢いである。その間、常に各方面から求められた俳優であり、どんな役どころでも真面目につきあってくれる、ひとくせある人物として観る者の記憶に残る演技ができるカンパネラは、正真正銘の芝居巧者であり性格俳優だと思う。